はじめに
明治の終わりに、姉崎在住の画家・広瀬蘆竹が当時の姉崎のくらしを描いた画帳「故郷姉崎町年中行事」が残されています。 
石﨑千恵さんはこの画帳の絵一枚ごとに短歌を詠まれました。
石﨑さんはその想いを次のように語られています。
『蘆竹の画に広がる生活・行事や景色は、とても興味深いものです。
 すでに無くしてしまった光景は多いのですが、なくしたくない絆を感じました。 それらを短歌のリズムに乗せてみました。
なお、巻頭の2首はこの想いを詠んだものです。』

ここでは石﨑さんの短歌と原画を対比して紹介します。
なお、絵の解説は「姉崎を知る会」の会員が付与しました。 
                    姉崎を知る会 石黒 修一  

          故郷姉崎町年中行事を詠む

 ◇ 画は蘆竹 人を野山を描き巡る年中行事も日々の暮らしも 
 ◇ 平安と豊作祈る季節ごと役に立てたる子どもの遊び

 1 門飾りは姉埼神社の女神「帰らぬ人を待つは嫌じゃ」と 
 2 筒粥の占い神事は正月の十五日あさ姉埼神社
 3 正月に家々訪ね子ら唄う「かたびてめって」「金蔵立てろ」 
 4 太竹を棒で叩いて男の子らは「ほうほんや」とて豊作祈る
 5 片又木十二社神社の氏子たち四百年を引き継ぐオビシャ
 6 姉崎の「玉切り遊び」は子供たちホッケーに似て打ち合う毬杖
 7 初午の稲荷大社の鎮座の日に豊作願い絆をつなぐ
 8 辻祈禱は道行く人に神仏の教えと祈りを僧の唱える
 9 鬼子母神に叶え賜えと手を合わせ授け安産に健やかなるを
10 潮干狩りは家族揃って裾はしょり海の恵みは暮らしを支え
11 上総凧は子の名を入れて高く舞う鯉ものぼるよ端午の節句
12 天羽田の野山は豊かに広がりて春はわらびを採りに出かけて
13 遠浅の姉崎浦に踏み入れば浅蜊ざくざく腰巻き漁よ
14 富士講は六月一日姉崎と浅間神社で登山の無事を  
15 七夕朝まこもで造る「ハイ馬」引き家に帰るは子どもの役目
16 笹飾りは七夕祝いの設えの思い思いの願いを込めて 
17 ご先祖のお迎え支度の買い出しに出かけて賑わう盆市のたつ
18 新盆に僧侶と共に村人も七字唱える「門題目」よ
19 練り歩く「団子貰い」に施すは盆の終いの功徳となりて
20 浜町の海岸に集う施餓鬼の日海難者への供養塔たて
21 盆踊りに山王山のおさん狐みなと一緒に輪の中はいる
21 渡御のまえ戸ごとに巡る「桃食って、こてえらんねえ」と子ども獅子舞う
23 姉崎の轅を担ぐ神輿のあと騎乗の宮司や夏季例大祭
24 虫払う「蝗送り」は稲守れと子らの行事御祭例のあと
25 沢庵を藁を巻いたら地を叩き子どもら歩く「もぐら追い」する
26 風祭の二百十日の厄日には風害受けるな稲よ育てと
27 十五夜を片目と思い翌月も月を愛でるは十三夜なり
28 祖師御難法会を行う長遠寺教えを説くは日蓮先徳
29 秋になり茸狩りとて天羽田へ出かけていくは姉崎の飛び地
30 御開帳は長遠寺にて十二日法会に多く人の集いて
31 流鏑馬は姉埼神社の神事にて人々「まと」と呼んで親しむ
32 「まと」のあと土俵に熱き声かける相撲大会あちらこちらに
33 出雲へと御出座しになる神様を見送りすると神無月となる
34 酉の市は今津朝山鷲神社に遠方からも出店賑わう
35 どっさりと採れる貝「バカ」安値なり剝き身にすれば「アオヤギ」となる
36 年の瀬は家の内外大掃除神仏敬い煤払いする
37 商いの中心地なる姉崎の人混みひときわ歳末市は
38 人の輪と絆の強い営みを蘆竹の絵に見る姉崎の暮らし
39 庭先に姉崎浦の広がりて富士のお山を近くに感じ
40 変わらずに姉埼神社は佇みて田畑は人の住まいとなりぬ
41 欲界の最高所なる第六天の魔王を治める明神下に
42 妙経寺の山門前に姉崎の先達眠る「髭題目」よ
43 ご本尊読経日蓮大菩薩の長遠寺には参詣多く
44 争奪を繰り返された椎津城その守り神川崎稲荷
45 長らくと牛頭天王社と号したり明治以降は八坂神社と
46 海流れ文殊菩薩の届いたり安置をするは瑞安寺なり
47 久留里西往還として使われて重要ルートは天羽田通る
48 霊光寺に大師の石像並び立ち四国遍路と同じご利益
49 身を呈し風よ鎮めと志那都比古の御霊を祀る嶋穴神社
50 いつの世も花を楽しむ人々の集うは出津の桜の並木
51 遮るの建物のなく彼方には鹿野山まで見えたる時も
52 海は凪ぐ鋸山も館山の鏡ケ浦も清らかに見ゆ