領主変遷(姉ヶ崎村)


「この紋所が眼に入らぬか! こちらにおわすお方は、おそれおおくもさきの副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ!」
このキメの言葉に、さしもの悪徳領主も刀を背に隠し平伏。
ご存じ水戸黄門のクライマックスである。
でも、なぜこの言葉ひとつで解決してしまうのだろうか。
その鍵は江戸幕府の地方統治システムにある。

 幕府は、家臣に土地を与えその土地(領地)を領主として治めさせたが、一方で幕府は自らの裁量のみで領主から領地を剥奪、さらにはお家断絶の権力を保持していた。 つまり領主の「殺生与奪権」を幕府が握っていたのである。 このため目の前の「ただの老人一行」を殺し口封じすることは出来ても、副将軍が相手となると自分の「殺生与奪権」を持つ幕府と戦うことになる。 幕府を相手に戦はできず、悪徳領主は降参するほかないのである。

 江戸幕府が260年余りに亘って存続できた大きな要因はこの地方統治システムにある。 先に家臣に「土地を与えた」と述べたが、正しくは「私有財産として所有させるのではなく、徴税権・支配権を与えた(これを「知行(ちぎょう)」という)」であり、これが幕府の地方自治システムの根幹であった。
幕府は知行させた土地以外に直轄に管理する土地(幕領)を持ち、これを管理するため勘定奉行を置き、その配下の代官が幕領の統治・支配を行った。
所領が一万石以上の者を大名、未満を旗本(将軍に御目見えできる)・御家人(御目見えできない)と格付けし、領主には自己の方針による領民の統治・支配および徴税を認め、代官には幕府の方針で領民の統治・支配および年貢を徴収し幕府へ納める役目を与えた。
幕府は、領主の意向に拘わらず領地替え(転封)、領地剥奪(改易)の権力を持ち、かつ実行した。 これにより大名の力を削ぎ、あるいは大名を取り潰すことにより、幕府の権力の安定と増強をはかり、長期政権を可能としたのである。
親藩大名を外様の抑えに配置し、些細な不祥事に難癖をつけての改易が行われ、多くの土地で領主の交代が行われた。

姉崎ではどのように領主が変わったのでしょうか
「市原市史(市教育委員会発行)・江戸時代の領主変遷(姉ヶ崎村)」により紹介します。
 
姉ヶ崎村の領主変遷

西暦 時代 領 主  事   項 出 来 事 
         ここまでの記録はない 律令体制、公地公民制により土地・人民の支配は国造から天皇に移行。

荘園の増強により国の支配下の<公領(郡・郷・保)>と私有地の<荘(荘園)>併存。

鎌倉・室町幕府国単位で行政管理を行う守護を、公領・荘園単位で土地、年貢の徴収管理を行う地頭を設置。


戦国時代は武田、里見、北条の覇権争いの場となる。


太閤検地により、土地は豊臣政権に属し農民は土地に縛り付けられる。

1590 秀吉の全国征伐統一
    徳川家康 関東入部
1600 関ヶ原の戦い

1603 徳川家康 征夷大将軍となり
    江戸幕府を開く
1605 秀忠 二代将軍
1344






1383
 
南北朝時代
 
康永






永徳  







3  
小笠原氏  譲状に「姉崎社(保)」の記録






譲状に「姉崎保」の記録  
          記録なし
1607 




















 
慶長  12 姉崎藩 松平忠昌 立藩(一万石 )



忠晶 常陸下妻へ転封 
関ヶ原の勝利により敵対大名の取り潰し、味方大名の加封、徳川一門・譜代の取り立てが行われる。



1615 大阪夏の陣
     


1623 家光 三代将軍
1615 元和 1  幕領
1620   元和    5    姉崎藩   松平直政 再藩(二万石)


直政 越前大野へ転封 
1624   寛永  青山幸成 所領替えにより幸成領となる(定府大名)


幸成 遠江掛川へ所領替え
 
1623 福井藩主松平忠直豊後に改易
1633   寛永 10  幕領   1635 参勤交代制の確立
1637 島原の乱始まる
1639 鎖国を開始
1650 慶安 (慶安3年以前)

甲斐徳美藩
徳美藩主 伊丹康勝 所領替え 





徳美藩 改易
 
1651 家綱 四代将軍

1657 江戸明暦の大火
1680 綱吉 五代将軍



1698 市原郡 「お竹騒動」起きる
1699 元禄  12 幕領     
1702 大石内蔵助ら吉良邸討ち入り
1707   宝永    荻原重秀
 勘定奉行 加増による(都合3,200石)





 勘定奉行罷免
1709 家宣 六代将軍



1712 家継 七代将軍
1714 正徳  不明    1716 吉宗 八代将軍
1717 大岡越前守 江戸奉行となる
1725 享保  10 北条藩 水野忠定 再立藩(一万二千石)








廃藩(市原郡椎津村へ移転) 
1745 家重 九代将軍


1760 家治 十代将軍
1772 田村意次 老中となる
1787 老中松平定信 倹約令を発令
1783 天明の大飢饉

1786 家斉 十一代将軍

1827  文政  10  鶴牧藩 水野忠韶 立藩(一万五千石)











廃藩置県により鶴牧五藩廃藩
(鶴牧県誕生)
  

1834 水野忠邦 老中となる
1837 家慶 十二代将軍
    大塩平八郎の乱
1848 佐久間象山 大砲を鋳造
1853 家定 十三代将軍
    ペルー浦賀来航
1858 家茂 十四代将軍
1859 安政の大獄
1866 慶喜 十五代将軍
1867 大政奉還
1868 明治維新
1871 廃藩置県
1871 明治 明治