寛永10年(1633年)、武田遺臣である幕臣伊丹康勝は甲斐山梨郡3,000石を加増されて1万2,000石を領する大名となり、甲斐徳美(山梨県塩山市)に陣屋が設置され、徳美藩が成立した。
慶安3年(1650年)以前に所領が市原郡のほか上総・武蔵に移されており、慶安3年には姉ヶ崎村は徳美藩領となっている。
承応2年(1653年)、康勝は79歳で死去し、家督は長男・勝長が継いだが、姉ヶ崎村領は三男勝重へ分知された。
寛文2年(1662年)、勝長が江戸の役宅において刺殺される事件が発生し、家督は勝長の長男・勝政が相続。
勝政は甲斐黒川金山の開発や近江水口城の守備などで活躍。
元禄4年(1691年)、勝政が死去し、嫡男の勝守が相続。
元禄11年(1698年)、勝守が江戸城内で自殺し、徳美藩は4代をもって改易となり所領は没収された。