解説:青山幸成(あおやま よしなり)
 

天正14年(1586年)、徳川氏の譜代家臣・青山忠成の四男として浜松で生まれ、慶長4年(1599年)に元服して徳川秀忠の近侍として仕えた。
元和5年(1619年)に常陸新治郡・筑波郡などで1万石を加増され、以前からあった所領とあわせて1万3000石の大名となった。のちに書院番頭・小姓組番頭・小十人組頭を歴任し、同年九月遠江で3000石を加増され合わせて1万6000石の所領となった。 そして寛永元年(1624年)所領の一部を市原郡などに移され幸成領が成立した。
寛永10年(1633年)、遠江掛川藩に2万6000石に加増された上で移封され、幸成領が消滅した。

⇒その後の幸成
 寛永12年(1635年)、5万石に加増された上で摂津尼崎藩に移封された。幸成は藩政の基礎を確立するため、儒者を招聘して文学を奨励し、大庄屋制度を制定し、積極的な新田開発を行なって4000石を新開発した。
寛永20年(1643年)に死去。享年59。

 参考文献
  「市原市史」 市原氏教育委員会
  Wikipedia