椎津  八坂神社

                                                                市原市椎津230-1 
   
椎津・八坂神社は、姉ケ崎駅東口を出て県道を左に折れた徒歩約15分の場所にあります。
八坂神社が鎮座する椎津は多くの歴史を抱えた地区です。
神社は千葉県の史跡椎津城跡(通称:城山)の下に位置しており、椎津城は戦国時代に武田・北条Ⅴs里見が争奪の激戦を繰り返した城です。
椎津城主に由来するといわれ、毎年お盆に行われる「椎津カラダミ」は県無形民俗文化財に指定されています。
江戸時代には市原市で唯一廃藩置県まで存続した「鶴牧藩」が置かれました。
また、内房地域は高度成長期に海が埋め立てられ京葉工業地帯に変貌し、椎津も漁業権を放棄してその暮らしは大きく変わりましたが、椎津皆様により多くの伝統が継承されています。
そんな椎津の鎮守様「八坂神社」を紹介します。

◇祭 神
  祭 神  建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
  神 徳 五穀豊穣、家内安全、厄災消除、病気予癒

◇由 緒 
当社は往古現存せる椎津城山にありて、御祭神建速須佐之男命を奉祀す。
人皇十二代景行天皇四十年日本武尊東征の時、東夷鎮撫の祈願あらせられたりと伝う。
其の後、現境内地に奉遷し正徳四甲子年十二月二十八日(棟札に記載)社殿を改めて造営す。
高倉天皇の御代、大将軍源頼朝公式運長久を祈願し木製の獅子を寄進せられたりと云う。
徳川時代に至りても御神徳を仰がれ、慶安二己丑年十月十七日御朱印地十石二斗を徳川家光公より賜わる。(明治四年太政官布告により上知す)益々将軍家を始め武門武将の崇敬篤かりき。領主水野壹岐守忠韶公より代々鶴牧城の守護神と仰ぎて尊崇最も篤く、年々元旦及び例祭には幣帛を奉られたり。水野肥前守忠順公より親筆社号額並びに紋章入り高張提灯を寄進せられたり。
明治二年御公布に依り抵園牛頭天王杜を八坂神社と改号し村社と定められ、人々の崇敬益々深し。
大正十三年五月十六日東久邇宮厚盛王殿下 並びに伏見宮博英王殿下の御参拝あらせられ幣帛料を賜わる。
昭和三年十一月一日北白川宮多恵子女王殿下 並びに朝香諶子女王殿下の御参拝ありて、御神前に玉串を奉奠あらせられる。
昭和十四年五月十二日境内狭隘のため社殿を現位置に移転し今日に至る。  (境内;神社由緒板より)

◇神紋・社紋
  神紋

祇園守紋(ぎおんまもりもん)
祇園守とは、八坂神社が発行する牛頭天王の護符。


*神紋:御祭神を表す紋章。
 

明治期の八坂神社
   社紋

五瓜に唐花(ごかにからはな)と左三つ巴(ひだりみっつともえ)
五瓜に唐花紋は別名「木瓜(もっこう)」ともいう。


*社紋:神社を表す紋章。


◇年間行事
:詳細は項目をクリック願います
   1月1日  歳旦祭 

 

   2月3日
   4日
 節分祭(厄除け)
   2月11日  紀元祭
   2月17日  祈年祭
   6月30日  大祓(夏越の大祓)
   7月22日
23日
 大 祭
   11月23日  新嘗祭 
  12月31日  大祓(大晦日)
     
  毎月  一日  月始祭
  毎月十五日  月次祭


◇境内百景
 案内図
 図をクリックで拡大図


八坂神社境内 には鳥居、狛犬、灯篭、御神木等神社本来の奉納物の他に、嘗て椎津が漁村であったことを物語る多くの石碑等が移設されています。


石造物、一つひとつに椎津の歴史が詰まっています。
境内を歩き椎津の歴史に触れてください。

建造物等(番号は案内図に対応)
  社殿
  社殿彫刻
  出羽三山講行宿
⑥  末社殿
祓所(祓戸大神)
手水舎
古札納所
神輿庫

◇石造物等(番号は案内図に対応)
鳥居 文化九年   ⑰  庚申塔  延宝弐年
八坂神社 大正四年    灯篭  文政九年
狛犬 文政二年     浅間社(富士講)  文政九年
④  水神宮 昭和十年    ⑳  三山供養塚  
漁港竣工記念碑 昭和三十一年   倉庫(万灯会山車庫 )  
狛犬 昭和十五年 平和の礎  
⑧  漁業権境界標  昭和二十九年   瑞垣改築記念碑  平成六年
灯篭 大正七年    奉納掲示板  
漁業権放棄記念碑 昭和四十一年   ㉙   御神木  
典記念碑 平成四年   ㉚  由緒碑   
神社由緒     掲示板   
⑯  手水石  慶應元年   鈴木隆像  

 



















参考文献