11 本町![]() ![]() ![]() | 道を進むとの正面を「大善」の大きな看板が遮断している変形四叉路にでる。左折すると養老町、直進すると本町である。かつてはこの地域が姉崎の中心地であったそうであるが、今では駅前に飲食店が林立し、人の流れが変わってしまった。 駅前からの「明神通り」が久留里街道と結ばれたとき、更にこの一帯は更に寂れてしまうのではないだろうか。何とか良き姉崎町の中心地を残したいものである。 昭和十二年頃の姉崎を描いた「少年の日の幻想曲」(坂本武夫著)の冒頭を紹介する。 <蒸気機関車で、両国駅を発車した房総西線の下り列車は、千葉駅でスイッチバックし、姉ヶ崎駅に到着するまで二時間近くかかった。 進行右手に八反甫の田圃が広がり、彼方に連なる松並木を透して、東京湾の沖の波間にちらほら漁船の漂うさまを望み、左手に椀を二つ伏せたような二子塚と、遥かな丘陵群に一際小高い天神山と、姉崎神社のこんもりした森が見えてくると、列車は間もなく姉ヶ崎駅のプラットホームに滑り込む。 閑散とした駅前の、丸通前の道をしばらく行くと、千葉、木更津方面へと分岐する県道に出る。そのまま県道を突っ切ると、神社通りと呼ばれる細い通りに入り、姉崎神社に通ずる。 駅前の県道を南西に、木更津方面に向って三百メートルほど行って、呉服屋の角を左に曲がる約百五十メートルと、呉服屋から更に南西に千メートルばかり続く鄙びた町並が、人口六千人あまりの、姉崎町のほぼ中枢を占めていた。 駅前から呉服屋までが新宿、その先が本町、仲町、新町、川崎、椎津と表通りの町名が続く。 毎年、夏休みになると、新宿の県道脇の原っぱで相撲やサーカスの興行が催された。 興行はテント張りで、サーカスは天幕があったが、相撲は露天だった。 祖父の元気な頃、大善酒店前の倶楽部に度々連れて行って貰った。倶楽部の入口には、名入の幟が何本もはためいていた。尾上菊三郎、市川団次、中村吉右衛門、と有名な役者に似た幟が多かった。> ここに出てくる呉服屋は和菓子「松月堂」となり、倶楽部は大膳の倉庫となっている。 サカキバラ薬局の脇を右折すると踏み切りを渡り浜町海岸に出る。海水浴場、神輿の渡御の道となっていた。 |