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5 案内板


坂を下った信号のある交差点の左手に「鎌倉街道」の案内板があります。

『鎌倉街道
 鎌倉幕府があったころ、御家人や商人が鎌倉と行き来するための道路が鎌倉を中心に整備されました。袖ケ浦市内には「鎌倉街道」という地名や源頼朝にまつわる伝説などが残されています。
 鎌倉街道というと「いざ、鎌倉」という非常事態にそなえて鎌倉時代に整備された道であるかのよう に考えられがちですが、袖ケ浦周辺の鎌倉街道を探ると、古代からの道が利用されていたことがわかっています。
 この今に残る地名や頼朝伝説が残っている場所をつなぎ合わせていくと、現在でも道路となっているルートに一致します。このルートは木更津市から市原市に向かうもので、袖ケ浦市内を横断しています。
 袖ケ浦市内では、飯富(いいとみ)→下新田(しもにった)→三ツ作(みつさく)→野田・大曽根→下泉→上泉→川原井を通って、市原市の立野へと続くものです。
 いまでも通称「鎌倉道」とよばれています。この道を歩くと、周辺の自然環境なども往時を偲ばせるものがあり、ふと中世に迷い込んだような雰囲気を味わうことができます。
 このルートのうち、袖ケ浦市三ッ作から市原市立野までの区間は、文化庁選定の「歴史の道百選」に選ばれ、「鎌倉街道ー上総道」として知られています。
                       袖ヶ浦市 』