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16 川崎稲荷


  
往還に接するように稲荷がある。 川崎の稲荷神社である。この神社は砂子の稲荷神社とともに椎津城の守り神であったと云う。

社側に神木として数千年を経たる周囲二丈余りの大木があったが、明治四十四年四月十日夜、椎津より出火の大火事があり、本殿、大木ともに焼失した。
(古今記録より)

昔は境内も広く、多くの参拝客で賑わったという。初午の賑わいを描いた絵も残されている。

境内には「力石」が忘れ去られたように置かれている。
これは若者衆が力比べを行ったものであり、表面に重さ□貫と刻まれているようだが摩滅していて読めなかった。
また、境内の手水石は名石工といわれた大嶋久兵衛の作である。久兵衛は姉崎神社の狛犬、妙経寺の石碑にその名を残している。