古今記録(抜粋) / P1002


名誉三事跡
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  1. 元禄年間 義僕市兵衛記
  2. 文久
    天保年間 史記評林改訂
  3. 文化年間 孝子五郎
  4.        あとがき

義僕市兵衛記
昔元禄年間當姉崎町ニ三拾六ケ村ノ親村総代名主トシテ
内手次郎兵衛(姓 齋藤氏)ナルモノアリ當村字亀ヶ崎
ニ住居シ農事ノ傍ラ商業ヲモ手廣クシ雇人モ澤山使用シ
来リシ舊家ナリシガ當時同家ニ下男市兵衛トテ年久シク
仕ヘ来リテ忠勤無二ナリシ者アリ國乱レテ忠臣著ラハルゝ
ノ諺ニ背カス元禄八年ニ至リ姉崎在深城村ニ農夫惣兵衛
ナルモノアリ村中ニ於テ或日早朝曽テ公儀ヨリ野猪ヲ逐フ
為メ御預ノ鐵炮ヲ以テ竹林中ニ同村農女お竹ナルモノヲ猪
ト見誤リテ銃殺ス茲ニ於テ双方親戚ノ者等談合ノ上死者方ヘ
ハ金品等を送リテ事ヲ示談内済ニ了ス然ルニ其後ニ至リ
遂ニ公廰ノ知る所トナリ姉崎村惣名主前記齋藤次郎兵衛外
隣村名主等四名事ニ不預ト雖モ罪アリトナシ其田宅ヲ官没シ
其身ハ伊豆國大島ニ流刑トナス茲ニ於て下僕市兵衛(姓 
齋藤)ハ主人次郎兵衛妻苦憂ノ餘リ女児ヲ産シテ死ス次郎
兵衛父、得入、年八十余歳長女及萬五郎及乳児ト老若四名
ヲ引取リ赤貧洗フガ如ク市兵衛妻子ヲ奉公ニ山シ得ル
所ノ給料ヲ以テ衣食ヲ補シ困難艱難家ヲ忘レ身ヲ忘レ撫育
拾有餘年数々官ニ訴テ旧主ノ特赦ヲ請フテ止マズ遂ニ死ヲ
以テ主ニ換ラントスルノ義心遂ニ公廰ヲ感動シ
拾有壱年ニシテ一同赦免セラレ官其忠誠ニ感シ
官没ノ田宅ヲ賜市兵衛ニ市兵衛辞シテ主息萬五郎
ニ賜ハラン事ヲ請フ官又是ヲ許ス斯ル下僕ニシテ
志ヤ能ク人臣ノ本分ヲ盡シ精神一到忠誠其本懐ヲ
達シタルハ實ニ感涙ニ餘アリト云フベシ其後ニ至リ
赤穂義士元禄快挙以後上總國義僕市兵衛記ト稱シテ
遍ク天下ヲ聲動シ荻生徂来、林大學頭、両大家ヲ
始メ俳人其角等有ラユル諸大家ハ是ヲ賞讃シ皆詩歌
撰文ヲ寄セラレ弘ク歌舞音曲講談演説等津々浦々至
ル所聞カザルハナキ一大事蹟ハ即チ當姉崎町ノ出来
事ニシテ曽テ當地ニ於テ前代未聞ノ快事タリ斯ル
一下僕ノ行為能ク満天下ヲ感動セシメテ當村ニ其
名誉ヲ残シタルハ我々町民ノ記念トシテ永ク後世ニ
傳ヘテ忘ルベカラザル事タリ
猶詳細ハ両大先生ノ御撰文ニアレバ茲ニ略スト爾去

   起きてきけ
     比ほととぎす
        市兵衛記


史記評林改訂
當姉崎町鶴牧藩ニ於テハ藩主水野壱
岐守曽テ史記評林ノ不備ヲ歎キ天保
年間藩儒田中篤實、豊田一貫両先生
及其他ノ諸先生ニ對シ右改訂ヲ命シ
各儒ハ取捨折衷永年間苦心經營セラ
レ巨多ノ藩費ヲ投シ遂ニ比大事業ヲ成
就シタリ
右改訂ハ鶴牧版トシテ當時ノ學者間
ニ賞揚セラレ畏クモ事遂ニ
天聴ニ達シ
 御前開講ノ栄ヲ得遍ク天下ノ文學界
 ニ稗益ヲ與ヘタルハ前記中興ノ事蹟
ト共ニ尤モ當地ノ誇トシテ永ク後世
ニ傳フベキ事ナリ

改訂史記全巻壱部 子爵水野家
ヨリ寄贈セラレテ本校ニ所蔵ス
新刊史記評林鶴牧藩主水野忠順命
田中篤實豊田一貫等校正刊刻者蓋
字畫之楷正校勘之精到較之従前坊
刊諸本太完善矣予以?劣忝備貪
今皇帝侍讀■與三條右府謀進讀史記
 以世無善本為憾欲利刊一本以具
御前適忠順家
 官准比本刊始成
将獻呈一本乞序於
余余大善資維文明之
皇治也為題数言
 明治二年乙己歳十月
  従四位守大學大監兼侍讀大蔵朝臣種樹撰
               □印 
  従七位守少史源朝臣之恭謹書 □印 
    田中篤實  長谷川敬直
    井上光明  関  久成
  校合者 林 義次  本多 政辰
    関 利器  豊田 一貫


孝子五郎
上總國、姉崎村の孝子五郎ハ父を勘兵衛といへり 今年天保十乙亥に六十二歳なり今の名ハ市平とい へり父は廿四五歳の時にうせて母は八十六歳にて うせさり、今は十七年の忌もすぎしなむわかきより 親に仕えてまめやかなる事、世にたくひなかりき 父うせて後ハ母と二人すみにてありし元より貧しき なりハひなりけれハ人の家に仕えて身をおくりかつ ハ其みのしろにて母を養ひ朝夕のあわせもの何くれ によらつみつからハ食ハて母にあたへまた近き村々 に俳優のあれバ行て見て帰りて其のさまをまなびて 母に見せける妻をむかへしも母のこゝろにかなハさ りければとみに出しやりつなをいかさまの人を迎て 母に事ふをの踈になりもやせんとてこらへてむかへ さりけり、母は常に雷をいたく恐れにければ小雨ふ り雷ならんとするおりはハ母の傍に侍り居てよろつ なくさめかくて母うせてよりもしばしば墓にいたり て問わすかたりをして苔の下の母をなくさめ雷なる 時ハ今も其墓にいたりて常に伴ひ守りぬすへて母の 為めにする事をバ我が心からなして人にはさまざま にいひこしらえて露もいハさりかりされと志る人多 くひろく傳ハれりこたび我か 君より御褒美給り 猶其身生涯の扶持をたまはりし事のありかたきかゝ る田夫野人の王褒にまなび老藜子にならひて世にめ つらかなる孝行を盡せし事を予があつかるところの ひと人に志らしめ教のはしともならんと書記しぬ

            鶴牧縣吏 源 良邑 印
                  仲丁 廣瀬先代
                   津左衛門 良邑

    ごろごろと鳴る雷に
       五郎きて親の墓所を
           守る孝行    善誠
    鳴る神や
      耳にもふれず孝の道
                 七十二翁
                     崋山



あとがき
前記三事跡ハ當姉崎町ノ名誉記念ト シテ先般當地廣瀬蘆竹画伯ノ揮毫ヲ 乞イ同族ニ勧メテ三幅對ニ装製シ教 育上参考トシテ本校ニ寄贈シ一見児 童諸士ニ理義ヲ了セシメントス依テ 右本校ニ所蔵ス
                 姉崎町
                    齋藤 孝