鷲神社 

所在地:千葉県市原市今津朝山字宮前426


御祭神
       天日鷲命(あまのひわしのみこと)
 御配祀  日本武尊(やまとたけるのみこと)

     五穀豊穣 家内安全 産業振興 商売繁盛

由緒沿革
当社は人皇十一代垂仁天皇八十年十一月六日天日鷲命、日本武命をこの地に奉祀鎮座したのがはじまり
国書によると天日鷲命の孫が木綿、麻布を織る技術に優れていたため天富命に孫を率いて阿波国(四国)に遣わし、肥穣の土地を求めて穀麻の種を増殖させた。
天富命は更に沃穣の地を求め阿波の齋部(いなべ)一族(四国の豪族)を率いて東国(房総今津朝山)に下り、麻穀を播殖したところ良質の麻の産する所と知り、この地を「総の国朝山」と名付け、天日鷲命を守護神として奉祀した。
以来、永い歴史、歳月の流れの中で殊に江戸時代以降、産業振興、商業繁栄の神として人々の崇敬最も篤く、十一月初酉日より三日間「酉の市」が開かれ近郊近在より、数多くの崇敬者が参詣し賑々しく例祭が斎行された。

中御門天皇正徳六年丙申(1716)十月神祇官に於いて正一位贈られる
安政六年己未(1859)四月大岡越前守家臣神谷和義より刀剣壱口奉納

      =>神社説明板より


沿革
 古老の言によると約150年程前の12月今津宿に百余戸を焼失する大火があり、鷲神社も全焼したようである。
其の大火後に再建された社殿が現在のものであり部落復興に際して宿の廣い道路が作定されたものと思われる。
そして明治四十二年頃までに鷲神社境内から宿の道路の両側には毎年12月になると酉の市が開かれ遠くは埼玉県安行からの植木屋や江戸等各地から日用品雑貨等を商う者が集まったり、その頃當地で製産されていた塩との物々交換の為め等で多勢の人が出入りして殷盛を極めたそうである。
始め鷲神社は本殿も拝殿も瓦葺屋根であったが明治二十六年六月本殿を銅葺にしたることは記念碑に印された通りである。 その後大正十二年九月一日関東大震災で倒壊した拝殿は大正十五年三月に銅葺に改修して工事を落成したが年月の経過と共に破損個所が多くなって来たので昭和四十年に修復工事を起こし鷲神社の敷石を移行して仝年十月五日完工を見るに至った。
又鷲神社の正面には弘化二年九月総氏子中の寄進によって建立された神明型石鳥居があったが大正六年九月三十日の暴風雨と関東大震災で倒壊破損したので共に継合わせて復元したのであるが、たまたま市原市と市計画事業の姉崎岩崎線道路新設により移動の止むなきに至ったので昭和四十年十月五日総氏子中の寄進により之を新調し同時にはしがき瑞垣を新設し境内正面を整備した次第である。
      昭和四十二年四月記す

      =>神社修復碑より

 『酉の市』の賑わい==>『今津朝山のあゆみ』から

境内百景

     参道   

   拝殿前の灯篭   神前  


     社殿  


年間行事
  ・7月23日  夏期例大祭
  ・11月初酉日 秋期例大祭