万葉集

編纂:大伴 家持(奈良時代)
姉崎との関連
奈良時代に大伴家持(おおとものやかもち)が編纂したと言われている『万葉集』に姉崎地区を詠んだ和歌があるのをご存知でしょうか。
あの『万葉集』にも姉崎は書かれているのです!!
・・・姉崎との地名では出て来ませんが・・・・
万葉集概説
万葉集は奈良時代の末に現在見られるような二十巻の形に編纂されたと考えられる。 そして、その編纂に大伴家持が関与していたことは確かである。
万葉集に登録された和歌は、古くは仁徳天皇の時代から、下がって淳仁(じゅんにん)天皇の時代にいたる約四百年間の和歌で、その総数は、約四千五百首である。
作者は仁徳天皇の磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)を最古の歌人として、以降、雄略天皇、舒明天皇にはじまる天皇や皇后、皇子や皇女をはじめ、貴族や宮廷に仕えた役人や采女(うねめ)たち、また、乞食者(ほがいびと)や東国から徴集された防人(さきもり)や、地方の農民など、社会の幅広い層にわたっている。それらの作者の中でも、持統天皇をはじめ、額田王(ぬかだのおおきみ)、大津皇子、志貴皇子、柿本人麻呂、山部赤人、大伴旅人、山上憶良、大伴家持たちはよく知られている歌人である。
歌の内容は相聞歌(そうもん:恋の歌)、挽歌(ばんか:死を悼むうた)、雑歌(ぞうか:相聞、挽歌以外の歌で、自然を詠じた歌などを含む)の分類に分かれている。
二十巻それぞれが特色をもつが、房総に関する和歌としては巻十四に「東歌(あずまうた)」、巻二十に「防人の歌」がそれぞれ収録されている。
万葉集は、万葉仮名とよばれる漢字を用いて書かれている。これは、漢字の音や訓などを日本語に宛てて用いたものである。 それだけに漢字の音や訓などで書かれた万葉集の和歌は難読、難解のものが多く、まだ読み解ききれない和歌や、研究者によって意味の異なる和歌がいくつかある。
当時の姉崎地区を含む一帯は、上総の国海上郡と呼ばれていた。
この海上を詠んだ歌2首を万葉仮名と共に紹介する。
(万葉仮名の中で□は表記不能文字)

 夏麻引く 海上潟の 沖つ渚に 船はとどめむ さ夜更けにけり (巻十四 3348)
 なつそびく  うなかみがたの  おきつすに  ふねはとどめむ さよふけにけり
 奈都素妣久 宇奈加美我多能 於伎都渚□ 布祢波等杼米牟 佐欲布気□家里
<歌意>
 ああ夜がもう更けてしまったなあ。今夜はこの(夏麻引く)海上潟の沖の州に船をとめて停泊しよう。
<解説>
この歌は巻十四・東歌の巻頭の歌として知られている。
万葉集の中の歌で土地を詠み込んだ歌は、その土地の人の歌ではなく、その土地を訪れた旅人が詠んだものだといわれている。 この歌は旅人が海上の沖で停泊した船中で詠んだと考えられる、静かな夜更けの感じをよくあらわしている。
「海上潟」は『和名抄』には「上つ海上(上総の国:市原市)」「下つ海上(下総の国:銚子市の西」の二つの海上郡があり、そのどちらかであるかは確かではないが、万葉集の本文の注の「右一首 上総国歌」とあるので上総の海上とする方がよいだろう。

 夏麻引く 海上潟の 沖つ洲に 鳥はすだけど 君は音もせず (巻七 1176)
 なつそびく うなかみがたの おきつすに  とりはすだけど きみはおともせず
 夏麻引   海上滷乃     奥洲□   鳥者簀竹跡  君音文不為
<歌意>
 (夏麻引く)海上潟の沖の州では、鳥が集まり、音や声を立てて(騒いで)いるのに、あなたは音沙汰がない(訪ねてくれない)。
<解説>
この歌は巻七・雑歌の中の『旅にして作る歌九十首』の中の一首。
作者名も詠まれた年代も不明。 『和名抄』には「上総国・下総国両国に海上郡がある」とある。この歌はどちらの海上郡の歌であるかわからないが、海岸の状況からみると沖に砂州などがあるのは東京湾に面した上総の海上潟であるようだ。
写真は昭和初期の姉崎海岸(八反甫)

参考文献
 新典社文庫『房総の万葉』 池田重 編著          1991.6  新典社