孫の名前を祝いの凧によ
書いて糸ひく 上総凧
高くのぼれよ 大きく育て
祝いよろこぶ 初節句
(上総節句祝い歌から)
上総には男の子が生まれると、その子の健康と出世を祝って、端午の節句に凧を揚げるという風習があった。
左図:明治後期の節句風景(姉崎)
「古今記録」 齋藤孝氏編纂 廣瀬蘆竹画より
上総凧には『角凧』と『袖凧(長南トンビともいう)』があり、海よりの袖ヶ浦一帯では『角凧』で山側では『袖凧』とその分布が分かれているという。
『袖凧』の歴史は、江戸時代の享和年間(1801〜4)に長南町に住む表具師・大木忠蔵が、漁師の着る「万祝(まいわい)」を見てからとも、大工の印半纏をヒントを得て作ったのが始まりともされている。
『長南トンビ』は「万祝」が原型であり袖が丸く、『袖凧』は印半纏が元であり袖は四角ともいわれる。
いずれにせよ、着物のような独特な形であり、おおきなウナリをつけ、紙尾のないのが特徴である。
平成14年10月に行われた『市原市文化祭・凧展』を訪ね、姉崎台『市原市凧保存愛好会』の方々より『袖凧つくり』の話をお聞きしました。
『袖凧』は、子供の成人祝いなどで出入り者達に「名入りの半纏」を配る風習があり、この半纏を模して作られたもので、袖は四角く、名入りのものが原型であり、その後「家紋」や「絵」が描かれた物が出回るようになった。
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「うなり」は竹に「鯨のひげ」や「藤葦(ふじよし)」を張った弓を袖の肩の部分に取り付けたもので、風に震えて音を出す仕掛けである。
昔は「「鯨のひげ」を使ったので「うなり」を「くじら」と呼ぶ古老が多いが、「鯨」が「藤葦」に変わり、最後は化学繊維のフイルムにと移り変わってきた。
写真は凧に取り付けられた「うなり」 |
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骨組みに使う竹は「矢の竹」「篠竹」を使い細く削った竹ヒゴを糸で組合せ骨組みを作る。これに和紙を貼りつけ、絵付けをする。
凧の形の形状は決まっており、左右の袖、裾が1:1:1の比率となっている。
糸目は袖の上側と下側にそれぞれ3ヶ所、袖の中央と裾の中央にそれぞれ1ヶ所合計8ヶ所あり、当日の風の強さにより張り・糸目を調整して『尾』はつけない。
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凧に貼る半紙一枚の大きさの紙の数で凧の大きさをあらわす。
24枚ともなると天井まで届く大きさである。 |
 (角凧) |
白地に赤の縁取り、中央に群青で子供の名前1文字または家紋を丸く書き入れ、五月の青空に映える鮮やかな色彩が基本である。
また、金太郎や武者などの絵を一面に配したものもある(ここでは角凧を掲示)。
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参考文献
「手仕事の匠たち」 清野文雄著 崙書房 1991年