カラダミ(H19年)

平成19年8月15日に行なわれた『カラダミ』のレポートです。

 18時頃より椎津・瑞安寺境内で住職による法要が行なわれ、青年会代表に「椎津小太郎の位牌」が手渡される。 「位牌」を先頭に参加者は「別荘下交差点」の空き地に向う。
夕焼けの残照の下に「万燈」が置かれていた。
  「万燈」は屋上に「兜姿の小太郎の人形」、二階には四角の灯篭、一階は囃子連が乗る構造になっている。 先頭に新盆を迎えた家々から贈られた「切子提灯」が並び、竹ヒゴに紙花を取り付けたバレンが屋根から無数に垂れ下がっている。
 僧侶の読経の中、「位牌」が屋上の正面に取り付けられた。(写真 右)
いつの間にか夕闇のとばりに包まれていた。ドッドという音と共に発電機が廻りだし、パッと「万燈」が耀いた。
いよいよ出発である。    サウンドはここ  2分30秒

『そらやっせ おっこらしょ じゃらぼこ じゃらぼこ おんじゃんじゃん』の掛け声と共に「万燈」はゆっくり動き出した。
一階では数名の囃子連がブリキの一斗缶を棒で叩きリズムを刻む。
行列は「民謡会」の皆さんが揃いの浴衣での練り踊り、子供達の縦笛、そして「万燈」の順に進む。
「万燈」は太い引綱二本に曳かれ、夫々の綱は道の両側に開き、この綱の間に踊り連、縦笛隊が入っている。
 「団子貰い」(大きな籠を背負った物乞いと、ぼろ袈裟をまとい鉦を叩く乞食坊主の二人)が行列の前後を行き来している。
行列は瑞安寺から八坂神社へと向う。
道の両側には多勢の人が見物しており、いつの間にか曳き方も増え、踊り手にも若い娘さんの浴衣姿も交じっている。
道路は一般車両は交通止めとして居るが、路線バスはそうも行かないのだろう。バスの通行の度に行列は止まり、曳き方も一方に寄せて通過を待つ。
 「万燈」の台車は板床に四つの車を取り付けただけで舵はない。 「万燈」の方向が曲がると親方は行列を止め、てこ棒を持った舵取りがイッセイノセの掛け声と共に台車の向きを直す。
なかなかの重労働である。
此の間でも踊り手は列の先頭の車から流れる「市原踊り」の曲に乗って踊り続けている。
『はい曳いて』の声でまた「万燈」は動き出す。
行列は八坂神社の前に着いた。
神社周辺、境内は多くの提灯が並び明るく行列を迎えている。
境内には最上段に太鼓、下段に舞台がある櫓が組まれており、青年会等が出店のカキ氷、フランクフルト、焼き鳥、焼きそばなど食べながら多勢の人が「万燈」の到着を待っていた。
踊り手たちは櫓に向かい列を離れるが、「万燈」は神社前を通過し、姉崎小学校へと向う。
この先は道が細く曲がりくねっているため、「ストップ」「イッセイノセ」「はい曳いて」の頻度が激しくなる。 さらに電線が「小太郎」に引っ掛かるたびに速度を落とし「小太郎」をお辞儀させくぐり向けなければならない。
小学校横の空き地に着いた。終点である。
こゝには既に多くの人達が「万燈」の到着を待っていた。
まず「小太郎」と「位牌」が下ろされる。
『まだ待って 危ないから離れていて』 静止の声を聞かずにバレンを引っ張る人がいる。
このバレンを家に懸けておくと「魔よけ」になるそうだ。
バレンが解かれると銘々がバレンを器用に輪に丸めて帰路に着く。
バレンの竹ヒゴはきれいに面取りがされていて、素手で扱っても手を切るようなことはない。 心遣いに感心されられた。
これで「万燈」は終わり。 そして「カラダミ」の始まりである。
カラダミ    サウンドはここ  2分42秒
「万燈」とガラット趣が変わる。
『おっかが死んじまったよ かかが死んだよ』の悲痛?な叫びが続く。

団子貰いを先頭に、「万燈」行列を行っていた青年会の同じ人達による葬式の列である。
列の最後尾に数人の若者に担がれた「お棺」。 お棺には人が入っている。
「お棺」はあらかじめ「万燈」の終点近くまで運ばれており、ここから今来た道を戻り、八坂神社に立ち寄り、瑞安寺へと向う。
葬式の列は駆け足で進む。
お棺の担ぎ手はわざとお棺をゆすり、上下に揉みながら駆ける。
『おっかが死んじまったよ かかが死んだよ』の悲痛な叫びと裏腹に、担ぎ手も笑い、見物者も笑いながら見ている。
お棺のなかの「生き仏」はたまったものではないだろう。
八坂神社では「万燈」の踊り手たちが盆踊りを行いながら、多勢の観客と共に「カラダミ」の行列を待っている。
神社へ着くと行列は、櫓の周りをこれまた駆け足で騒ぎながら三回廻る。
そして「お棺」を舞台に担ぎ入れる。
するとお棺からニュウっと『手』だけが伸びて出てくる。
観客が笑うなか、お棺はまた担がれて瑞安寺へと向う。
瑞安寺に着くと、寺では鐘を鳴らしてこれを迎える。
 行列は三回廻って本堂の裏手へと姿を消す。 裏手では「生き仏」が「人間」に立ち戻り痛めた足腰をさすって居るのではないかと思われる。
「お棺」に入った者は長生きすると云はれているとか、多少の苦痛は止むを得ないことか。
 参加者、見物客が全員「小太郎の墓?」に線香をあげお参りをしてお開きとなる。
帰りには青年会から「梨」のお土産がありこれを抱えて帰途に着く。

既に時間は午後9時を廻っていました。