
上総・下總両国では近世の早い時期から「五郷組合」という組合村が存在したそうである。
これは五ケ村程度の村々が連合して形成された組織で、共通の問題を連帯して対処していこうとするものであった。
村々に強盗が出没するなど治安が悪くなったときには、
・盗賊が押しいったときは、村々が申し合わせて駆けつけること。
・博打等をしている者を見かけたら捕え置いて、相互に引き渡すこと
等々の取り決めを行うなど、自衛組織としての性格を有する反面、相互救済・監視組織としても機能していた。
市原北部では姉崎、海保、今富、新生、嶋野、五井、八幡、菊間、惣社、馬立、磯ヶ谷、海士有木、潤井戸、内田の各村にあった。
五郷組合には組合中核となる親郷、組合の雑務を担当する組合総代があり、親郷はほぼ世襲、組合総代は構成村がもち回りとしていた。
この五郷組合は幕末まで存在していた。
この五郷組合をさらに五つ束ねた「二十五郷組合」と云われる連合体があった。
姉崎周辺のものは「姉ヶ崎村二十五郷組合」と呼ばれ、姉ヶ崎五郷組合を頂点(割本:わりもと という)として、新生村五郷組合、海保村五郷組合、嶋野村五郷組合、今富村五郷組合で構成されていた。
割本は各五郷組合に対して法令を伝達したり、寄合の主席となって二十五郷組合を運営していく役目を務めていた。
寄合には親郷の名主が出席し、それを組合総代に伝達し、組合総代が組合構成村へ徹底するという運営となっていた。
二十五郷組合は姉ヶ崎村のものが記録に残っているが、五井、八幡にも同様のものがあったようである。
割本 | 五郷(親郷) | 村 名 | 石 高 |
姉ヶ崎村 | 姉ヶ崎村 | 姉崎村 | 1,704石08 |
椎津村 | 606・54 |
不入斗村 | 909・19 |
白塚村 | 471・85 |
今津村 | 331・41 |
小計 | 3,967・79 |
今富村 | 今富村 | 500石 |
宮原村 | 488・63 |
西野村 | 184・82 |
引田村 | 164・38 |
神代村 | 103・00 |
柳原・小折村 | 116・00 |
小計 | 1,556・19 |
新生村 | 新生村 | 207石98 |
権現堂村 | 160・02 |
糸久村 | 137・30 |
十五沢村 | 166・00 |
分目村 | 150・20 |
浅井・小向村 | 228・17 |
小計 | 1,049・67 |
嶋野村 | 嶋野村 | 442石0 |
松ヶ島村 | 123・23 |
出津村 | 183・33 |
青柳村 | 337・55 |
入沼村 | 97・31 |
小計 | 1,163・46 |
海保村 | 海保村 | 825石63 |
廿五里村 | 445・63 |
町田村 | 282・89 |
野毛村 | 112・29 |
畑木村 | 204・99 |
豊成村 | 147・30 |
立野村 | 51・71 |
小計 | 2,070・44 |
総 計 | 9,808・19 |
石高は寛延元年(1748年)当時

「市原市史 中巻」 発行:市原市 より