明治時代に広瀬蘆竹が描いた『故郷姉崎町年中行事』には、当時の姉崎で行われていた行事・風習を中心に、神社仏閣・風景などが描かれている。
活き活きとした人々の表情とその躍動感溢れる描写は、見る者をその情景へと引きずり込まずにはおかない、臨場感あふれる絵巻である。
そしてまた、当時の風俗を記録した貴重な歴史的文化財でもある。
保存箱の裏書には明治四十三年三月とある。
この『故郷姉崎町年中行事』を語るときには、この人抜きには語れない。
その人が齋藤孝 氏である。
氏は義僕・市兵衛の末裔であり、郷土愛に燃えていた人でありました。
私財の投じて、姉崎地域の神社仏閣や名所旧跡などに碑を建てるなど史跡の保善をはかると共に、姉崎の歴史・先達を紹介した『古今記録』『古記録』を編纂するなど、姉崎の歴史を後世に伝えることに尽力されました。
この事業の中で、広瀬蘆竹に姉崎の行事・風俗を描かせたのが『故郷姉崎町年中行事』です。
写真は齋藤孝氏と奥様の銅像(長遠寺 境内)
広瀬蘆竹は、本名を晋兵衛と言い「南画」を学んだようであるが、生い立ちは定かではない。もと会津藩士で戊辰戦争に敗れ、姉崎に移り住んだとも云われている。
齋藤孝氏の庇護のもと、氏の指示で当時の行事、くらし振りを描いたのが『故郷姉崎町年中行事』である。
先に述べた『古今記録』『古記録』の挿絵も蘆竹が描いている。
蘆竹は大変な酒好きであったようで、『齋藤氏は酒を飲ませることを条件に、絵を書かせていた。』という逸話も残っている。
蘆竹は姉崎・妙経寺に眠っている。(写真)
墓碑:松雲院蘆竹日楽居士 大正二年十月十二日 行年七十二才