馬乗り馬頭観音                            


馬乗り馬頭観音
(椎津新田)







馬口印
路傍に見かける馬頭観音。
写真のような馬に跨る馬頭観音を御覧になったことはありませんでしょうか。
これは『馬乗り馬頭観音』と呼ばれ、千葉県を代表する特徴のある石仏だそうである。

そもそも馬頭観音は形を変え衆生を救う変化観音の一つで、六道での観音は天道の如意輪観音、人道の准胝観音(じゅんでいかんのん)、修羅道の十一面観音、畜生道の馬頭観音、餓鬼道の千手観音、地獄道の聖観音とされています。
一般に馬頭観音像は、頭上に馬頭をいただき忿怒(ふんぬ)の相をした一面・三面・四面の顔、二〜八本の腕を持ち、胸の前で「馬口印(ばこういん:写真下)」を結んでいます。忿怒の相はなかなか断ち切れない煩悩に立ち向かう強い意志を表し、頭上の馬頭は馬が草を食べるように、もろもろの煩悩を食いつくし人々の災厄を取り除くといわれ、「馬頭明王」「馬頭金剛」「大力持明王」などとも呼ばれています。
近世、とくに江戸時代から馬の保護神として広く信仰されるようになり、むら境の路傍、墓地などに、馬の供養、道中の安全等を願って建てられています。 江戸時代後期からは多く建立されるようになり、馬頭観音像を刻む手間を省き名のみを刻んだものが多くなります。

「馬乗り馬頭観音は、その名の通り馬頭観音が馬に跨座(一部は結跏趺坐)したもので、長野県を始め関東各地にも少数は存在するが、千葉県に圧倒的に数多く建立されているので、正に千葉県を代表する特色ある石仏と言っても過言ではない
千葉県内でも東総地区(下総北東部)、西上総地区(上総東京湾沿岸)に集中している。(町田茂氏)」

写真上:
馬乗り馬頭観音の中でも最高傑作とされる椎津新田の塔。
場所 平成通りを姉ヶ崎幼稚園方向に折れ、道なりに進んだ椎津新田会館さきの右手路傍。
建立 安永五年申丙十月吉日
道標 「江戸道、たかくら道」

 
 
西上総最古の馬乗り馬頭観音
(東国吉)

西上総の馬乗り馬頭観音(稲本章宏氏 房総石造文化財研究会 石仏ゼミナール より)

西上総の馬乗り馬頭観音は79基あり、造立年が判明している59基のうち17基は18世紀の造立、残り49基が19世紀の造立です。安永期(1771〜81)に一旦多く作られたのち、寛政から天保期(1789〜1844)に盛んに造られた。
出現期の塔の殆どは市原市内にあり、田淵の一例を除いてすべてが姉崎周辺の村にある。「馬乗り馬頭観音」は姉崎に始まり、内陸の山間部に伝播した。 そのことは姉崎から高蔵寺への巡礼街道沿いに寛政期の塔が造立されていることからも窺える。
姉崎地域の馬乗り馬頭観音は慈悲相であり、以南の地域では忿怒相となっているので慈悲相と忿怒相を作成する少なくも二つの系譜が存在した。西上総の乗り馬頭観音を作成した石工としては木更津・北片町の石川新平が分かっているだけである。
 
「西上総の馬乗り馬頭観音」 稲本章宏 房総石造文化財研究会 平成29年度石仏ゼミナール 資料
   「馬乗り馬頭観音」 町田茂 房総石造文化財研究会 第五回石仏入門講座 資料