「市原市将来像策定調査 市原市の今と昔」発行:昭和58年 市原市役所企画部企画課 より   

 本地区のうち大久保、石塚、菅野、月崎、国本、柳川、折津の7か村は中古以来高淹の郷に属し、天文年間(1532-1554年)に、里見氏の支配に属していた。その後天正18年(1590年)からは徳川の家臣が交替で支配し、慶長7年(1602年)からは久留里藩(土屋氏)領、一時幕府領、酒丼氏領を経て寛保2年(1742年)から再び久留里藩(黒田氏)領となり 明治に至り、鶴舞藩井上氏の支配に変り、鶴舞県の管轄地になる。朝生原、戸面、石神の3か村は、戦国時代の里見氏、天正年間(1573-1591年)は勝浦の植村氏、宝暦6年(1756年)からは武蔵国岩槻藩大岡氏の所領を経て明治に至り、宮谷県の所管となる。
同4年には全村が木更津県の管轄となり、同6年千葉県に属した。
同11年には市原郡役所の所管となり、郡区町村編制法施行に伴い3つの村連合を組成したが、同20年市町村制の実施により全村合併し白鳥村となった。白鳥の地名の由来については、石塚の大福山に日本武尊の伝説に関する神社(白鳥神社)があり、日本武尊逝去の際における白鳥霊異の伝説に因んでつけられたものである。

「市原市将来像策定調査 市原市の今と昔」発行:昭和58年 市原市役所企画部企画課 より