祖師御難法会を行う長遠寺教えを説くは日蓮先徳 そしごなん ほうえをおこなう ちょうおんじ おしえをとくは にちれんせんとく 【祖師法難】(文永(ぶんえい)八年(はちねん)九月十ニ日(鎌倉時代(かまくらじだい))、日蓮(にちれん)は幕府(ばくふ)や他(た)の宗教(しゅうきょう)を批判(ひはん)したことで鎌倉(かまくら)・龍の口(たつ くち)で首切(くびき)りの刑(けい)を言(い)われました。太刀(たち)が振(ふ)り下(お)ろされる瞬間(しゅんかん)雷が落(かみなり お)ち、稲妻(いなずま)がその太刀(たち)を折(お)り命が(いのち)助(たす)かりました。 日蓮宗派(にちれんしゅうは)では毎年(まいとし)この日(ひ)に日蓮(にちれん)の教(おし)えを説(と)き聞(き)かせる法要(ほうよう)を行(おこな)うようになりました。長遠寺(ちょうおんじ)で行わ(おこな)れた法要(ほうよう)の様子(ようす)です。